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自己分析の前に自己解釈を 就活は大学1年から始まっている

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

11月7日付の東洋経済オンラインに「勝ち組先輩1000人が証言「就活は早めに限る」」と題する記事が掲載された。とにかく早め早めに行動し、就活に備えることが、成功の秘訣とのことだ。

記事には、一番に行うべきは、自己分析、とある。記事に従うならば、自己分析とは「自分を知ること」である。自分はどんな価値観をもっていて、どんな仕事をしたいのか。どんな人生を送ってきたのか。大事にしていることは何なのか。これらを知るのが自己分析だという。

「就活」の最初に行うアプローチとしては、あながち間違いではない。しかしこの自己分析というもの、なかなかの食わせものである。多くの就活学生から聞くのが、自己分析をしても志望動機につながる自己PRが書けないという言葉だ。また、自己PRがたくさんありすぎて困るという、よくわからない声もある。

どういうことか。実は、就活の準備にあたっては、自己分析よりも前に、しかもずいぶんと前に、自己解釈が必要なのである。

就活は大学1年から始まっている

仕事とは、自己実現の手段である。あるいは、自己実現のために今日明日を生き、未来へと投資するための原資である、お金を稼ぐ手段である。

そして就活とは、自己実現に至る手段を得るためのステップである。よって、就活で聞かれていることは「あなたはいかなる人で、これから社会でどういったことを成し遂げるために弊社に入るのですか」である。様々な質問では、いずれもその問いに対する答えが求められている。未来を一緒につくる仲間を求めているのである。ゆえに内定をゴールにすると、就活はできない。

ここにおける答えには、信念と、信念によって育まれた能力、このふたつが求められる。

これに答えるために、志望動機と自己PRが重要になる。志望動機があって、自己PRがある。逆はない。必ずこの順番で考えなければならない。目的があって手段があるのと同じである。

しかるに人は、得意なもので自己実現をなす。自身の磨かれた素養を発揮しなければ、何ごとかを成し遂げることはできない。自分そのものを発揮しなければ、高い成果には到達できない。たまたま就活がうまくいっても、仕事では成果を上げられない。

ようするにこういうことだ。自分とは何か、いかなる人なのかは、就活の前に見出だされなければならない。そのために、学生時代の様々な学びによって、自身を磨いていく。そうすると、様々な視点から自らを視ることができるようになる。自らのことがわかるようになってくる。ついには人生の目的、自己実現の姿が定まってくる。そのときようやく書けるのが、志望動機なのである。

これを自己解釈と筆者は呼んでいる。自己解釈は、学生時代のはじまり、すなわち大学一年から行わなければならない。また、つねに行っていなければならない。自己実現という目的に向かって、一歩を踏み出すことから始めなければならないのである。

再度言おう。就活で聞かれていることは「あなたはいかなる人で(=自己PR)、これから社会でどういったことを成し遂げるために弊社に入るのですか(=志望動機)」である。しかしそれに答えるには、「あなたはこれから社会でどういったことを成し遂げるために、いかなる人になったのですか」という質問に読み替えて、学生時代を過ごさなければならない。

目的にむけた自己の人間的成長が重要なのであって、内定が重要なのではない。

自己分析の前に自己解釈を

自己分析から始めては、自分を「しる」ことはできない。またそれは、自己分析で「わかる」ほど、容易なものではない。

何かを「しる」ということにはふたつある。分析と解釈である。分析とは、ある複雑なことがらを、それを構成している要素や成分に分けて明らかにすることである。それに対して解釈とは、あるものの意味するところを捉え、自らのなかで表現できるものになおすことである。

もうおわかりであろう。自己分析から始めると、いわゆるスキルマンになってしまう。あれができます、これができますと言う人、薄っぺらい人になってしまう。

全体は部分の総和ではない。部分の寄せ集めは、全体にはならない。それは数の世界のことである。部分を分けてしまうばかりでは、全体の意味づけができなくなる。自分というものが何なのか、どこを目指しているのかが、わからなくなるのである。それでは相手には、自分自身は伝わらない。

「目的は見出だされ、手段は選択される。選択は思案による。」アリストテレスの言葉である。

自らの目的なくして、仕事を選ぶことはできない。はじめに、何を成し遂げるのかを見出さなければならない。終わりなくして始まりはないのである。そして目的は、頭の中でこねくり回すことによって作られるものではない。そうではなく、見出だされるものである。あれこれと考えなければならないのは、手段のほうである。どのような仕事を選択するか、選択すべきかの段階において、ようやく自己分析が効力を発揮する。

見出すということは容易ではないのである。ゆえに学生時代の三年間、自らを発見するために学ばなければならない。重要なのは知識である。そして育まれた知性である。座学で学んだことを活かし、実践で学び、そして理解を深める。そういったプロセスを経て、答えは自ずと生じてくる。

やるべきことは「将来やりたいことがない学生の皆さん、まずはこれをやってみて」の中ですでに述べた。大変だが、頑張ってほしい。言ってはなんだが、就活などに翻弄される必要などない。

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皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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