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高齢者と転倒~水木しげるさんの死から考える

榎木英介病理専門医&科学・医療ジャーナリスト
高齢者の転倒による死は交通事故よりも多く、転倒がきっかけで要介護になることも多い(写真:アフロ)

巨星墜つ

ゲゲゲの鬼太郎の作者として知られる漫画家の水木しげる氏が亡くなられた。93歳だった。

ゲゲゲの鬼太郎は何度もアニメ化もされ、知らぬものはいない人気作品だ。壮絶な戦争体験やひょうひょうとした人柄など、国民的といってもよい人気があった漫画家だった。心よりご冥福をお祈りする。

死亡理由は当初心筋梗塞と発表されたが、その後多臓器不全と訂正された。

死亡理由 多臓器不全

11月11日に自宅で転倒。頭部打撲による硬膜下血腫で緊急手術を受け

一時回復していたが、11月30日未明に容体が悪化。

多臓器不全により逝去。

出典:水木しげる近況 2015.11.30訃報

亡くなるまでの様子はご家族が以下のように書かれている。

昨年暮れに心筋梗塞で倒れ2か月入院して、今年2月には車いすでの退院でした。

すっかり体力が落ちたのですが、その後持ち前の強さを発揮して少しずつ歩けるようになりました。

家から会社までの1kmの道のりを歩けるまでに回復。

食欲も戻って「何かうまいものはないの?」が口癖でした。

出典:水木しげる近況 2015.12.01水木しげるの家族から皆様へ

転倒がきっかけで…

ここで水木さんが亡くなるまでの経過をまとめてみたい。

  • 2014年暮れ 急性心筋梗塞発症、入院
  • 2015年2月 退院(車いす)

この間体力回復、1キロの歩行ができるように

  • 2015年11月11日 自宅で転倒 急性硬膜下血腫にて入院、手術

一時回復

  • 2015年11月30日 急変、多臓器不全にて死去

この一年に二度、大きな病魔にみまわれていた。

急性心筋梗塞の発症で入院とベッド上での安静、そして心臓の働きの低下があり、歩く筋肉が落ち、長く歩けなくなった。リハビリのかいがあり、1キロ程度の歩行ができるまでに回復した。

しかし、もともと高齢であり、落ちた体力が完全に回復することはなかった。転倒したのは、筋力の衰えが影響をあたえたのだろう。脳の血管が切れる急性硬膜下血腫を発症し、手術となった。

二度目の入院は、さらに筋力を低下させたと考える。

死因となった多臓器不全は、日本相撲協会北の湖理事長の死の記事で書いたように、「心、肺、腎、肝、消化管、中枢神経系、凝固及び線溶系などの臓器やシステムのうち、2つ以上が同時に、あるいは短期間のうちに連続して機能不全に陥った重篤な状態で、何らかの処置を必要とする状態」だ。

なぜ多臓器不全になったのかは明らかにされていないが、11か月前の心筋梗塞の影響があり、筋力が低下するなかで、緊急の開頭手術を受けたことは、お体に大きな負担となったことだろう。筋力はさらに低下し、ものを食べることができなかったのかもしれない。このためたんなどが気管に入り、誤嚥性肺炎を引き起こしたのかもしれない(原節子さんの逝去の記事参照)。たんが気管に入ることによる窒息の可能性もある。また、点滴の管が長い間つながれていることによって、菌に感染し、「敗血症」になった可能性もある。心臓が負担に耐えかねて、心不全になった可能性もある。

いずれも推定にしか過ぎないので、これ以上は書かないが、一つだけ言えることがある。高齢者の転倒は、死につながる可能性が高いということだ。

転倒死は交通事故死より多い

高齢者にとって、転倒は身近な危機だ。

転倒は高齢者によくみられます。自宅で暮らしている高齢者の約3分の1は少なくとも年に1回転倒し、介護施設に暮らす高齢者はより頻繁に転倒します。

出典:メルクマニュアル

厚生労働省の人口動態調査によると、2014年に転倒で亡くなった人は7946人。交通事故死の5717人より多い。うち、家庭における転倒により亡くなった人は2726人。約半数の1396人が80歳以上だ。

高齢者が転倒を起こす理由には

バランスや歩行の障害

視力障害

足の感覚不良

筋力低下

認知障害

出典:メルクマニュアル

などがある。

転倒すると、たとえすぐに亡くならなくても、坂を転げるように全身が弱ることがある。転倒により、骨折や、水木さんのような急性硬膜下血腫や急性硬膜外血腫が起きると、しばらくはベッドの上で安静にする必要があるため、体を十分動かせない。こうしてよけい筋力が落ちる。寝たきりになり、認知症が進んでしまうこともある。誤嚥性肺炎など様々な病気が発生し、死に至る可能性が高まる。

私の祖母も、94歳で亡くなる1年前に、骨粗しょう症による脊椎圧迫骨折で歩くことができなくなり、急激に弱っていった。

転倒を防いで健康寿命を延ばす

人間だれしも年を取ると筋肉が次第に細くなっていく。これは老化現象であり、誰しも通る道だ。筋力が落ちることによって、たとえば若いときならなんでもない段差などに足をとられたりする。

ただ、転倒は筋力低下だけで起こるわけではない。筋力低下を少しでも防ぐと同時に、転倒に関わる要因を減らすことで、転倒の可能性を減らすことができる。具体的には以下のようなものだ。

毎年の身体検査や眼科検診。特に心臓や血圧問題の評価を得る。

適切な食事をし、カルシウムやビタミンDを摂取する。

機敏さ、強さ、バランスおよび調整力を得るための筋肉トレーニングプログラムに参加する。

内服しているすべての治療薬物の最新リストをつくり、かかっているすべての医者にそれを示す。

あなたがもらっている薬物治療薬の副作用を知ってください。

治療薬物すべてにラベル(名前)がわかりやすく付けられ、治療薬物が指示に従った場所に収納されていることを確かめてください。

特に指示が無い限り、コップいっぱいの水で、予定の時間に治療薬物を内服してください。

出典:成尾整形外科病院(熊本市)ウェブサイト

また、滑り止めマットを使う、手すりを付けるなど、転倒しにくい家庭環境を作ることも重要だ(聖隷淡路病院ウェブサイト 転倒予防のススメ)。

2014年には日本転倒予防学会が発足するなど、転倒予防への関心が高まっている。転倒を防ぐことが、日常的に介護を必要としないで、自立した生活ができる生存期間、つまり健康寿命を延ばす鍵の一つなのだ。

水木さんの場合、93歳という年齢まで精力的に仕事をされ、偉大な足跡をのこした。そういう意味で大往生だったのかもしれない。しかし、ご家族が100まで生きてほしいと願っていたように、転倒がなければ、もう少し長生きされたかもしれない。そうなれば、私たちは新たな水木作品を読むことができたかもしれない。

水木さんの死は、転倒予防の重要性を私たちに教えてくれている。

病理専門医&科学・医療ジャーナリスト

1971年横浜生まれ。神奈川県立柏陽高校出身。東京大学理学部生物学科動物学専攻卒業後、大学院博士課程まで進学したが、研究者としての将来に不安を感じ、一念発起し神戸大学医学部に学士編入学。卒業後病理医になる。一般社団法人科学・政策と社会研究室(カセイケン)代表理事。フリーの病理医として働くと同時に、フリーの科学・医療ジャーナリストとして若手研究者のキャリア問題や研究不正、科学技術政策に関する記事の執筆等を行っている。「博士漂流時代」(ディスカヴァー)にて科学ジャーナリスト賞2011受賞。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。近著は「病理医が明かす 死因のホント」(日経プレミアシリーズ)。

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