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北方領土でロシア軍施設の再建が本格化

小泉悠安全保障アナリスト
択捉島で撮影したソ連軍基地跡(キトーヴィ岬)

軍事施設建設を本格化

6月8日、ロシア国防省系のスペツストロイ(特別建設局)社は、北方領土における軍事施設建設が「活発な段階」に入ったと公式サイトで発表した(ロシア語)。

北方領土の軍事力近代化やその意義については、以前の拙稿「北方領土のロシア軍近代化と地政学」で詳しく取り上げた。ここでも述べたように、ロシアは2011年に北方領土の軍事力近代化計画をスタートさせたものの、4年を経た現在でも目立った成果はほとんど伝わってこない。

少数の無人偵察機が配備されたことなどを除くと、軍事力そのものは今のところ大きく変化していないようだ。

ただし、それが今後も続くとは限らない。上記の拙稿でも触れたように、ロシアはまず老朽化した基地インフラを再建することを優先しており、本格的な装備近代化はその次のステップとして想定されている可能性があるためだ。

5カ所の軍事施設を2カ所に集約

そこで、現在の北方領土におけるロシア軍の配備状況を確認しておこう。

北方領土に駐屯しているのは陸軍の第18機関銃・砲兵師団(18PulAD)と呼ばれる部隊で、司令部は択捉島の太平洋側にあるガリャーチエ・クリュチーに置かれている。実戦部隊は国後と択捉に1個ずつ駐屯している歩兵部隊が主力で、このほかに独立歩兵大隊、独立戦車大隊、独立防空大隊、補給中隊などが駐屯する。兵力は合計3500人内外と見られる。

ロシア軍が描いている北方領土の軍事インフラ近代化プランを大まかにまとめるならば、国後と択捉にそれぞれ新たな基地施設を1カ所ずつ建設し、これら雑多な軍事施設を統合するというものである。

前述のスペツストロイのリリースによると、両島には163棟の建物と94のその他建造物が建設され、2つの基地施設の合計面積は26万849平方メートルという巨大なものとなるという。

また、スペツストロイの発表で興味深いのは、択捉島の基地施設の建設場所をガリャーチエ・クリュチーとしている点だ。というのも、当初はガリャーチエ・クリュチーではなくオホーツク海側のキトーヴイに基地機能を集約するという話が盛り上がっていたためだが、結局は従来の基地施設を大幅に近代化するということになったようだ。

※筆者は2013年に国後・択捉を訪問しているが、その際も基地建設計画に変更が出た旨の話を現地で聞いている。訪問当時の状況については以下を参照。

北方領土に行ってみた(1)

北方領土に行ってみた(2)

北方領土に行ってみた(補遺)

キトーヴィ岬に積まれたコンクリートパネル。基地の移転計画は放棄されたらしい
キトーヴィ岬に積まれたコンクリートパネル。基地の移転計画は放棄されたらしい

軍事インフラ整備の現状

建設された生コン工場(スペツストロイ)
建設された生コン工場(スペツストロイ)

スペツストロイによると、具体的な契約が結ばれたのは2014年のことで(これは当時の国家発注公告からも確認できる)、2015年に入ってから必要な機材や資材の搬入が始まったという。

スペツストロイの発表で興味深いのは、コンクリート製造装置が運び込まれているという点である。上記の拙稿「北方領土に行ってみた(2)」で触れたように、北方領土にはコンクリート工場がなく、これが島内のインフラ整備を大きく制約していたとされるだけに、これは大きな意義を持つ(しかも気象条件が厳しいため、生コンクリート用保温装置を導入して通年作業を可能としているという)。

建設は3つの機能別ゾーンをそれぞれの島に設定して行われ、まずは居住ゾーンの建設が優先されるという。スペツストロイによれば、発表時点での工事の進捗状況は以下の通りであった。

・択捉島

4つの広場(建設中)

2棟の建造物と14の建造物(基礎工事完了)

5棟の建造物(コンクリート準備済み)

・国後島

3つの広場(建設中)

2棟の建造物(基礎工事完了)

このように、北方領土の軍事インフラ整備はようやく今年から始まったばかりであり、ほとんどは基礎工事の段階である。建設労働者の現在は100名+下部組織の労働者(人数不明)と決して多くはないが、前述のようにスペツストロイはこれから建設作業を本格化させるとしており、今後、大々的に労働力を投下してかなりのペースで施設建設を進めてくる可能性がある。

この4年間、ことあるごとに北方領土の軍事力強化が叫ばれ、一瞬注目を集めてはまた忘れ去られるということが繰り返されてきたが、今回はその第一ステップが具体的に開始されたことになる。

また、スペツストロイの発表と同じ6月8日、ハバロフスクの東部軍管区司令部を視察したロシアのショイグ国防相は、北方領土の軍事インフラ建設を加速するよう同司令部に対して指示した。

「東京は神経質に」と伝える露国防省系テレビ

北方領土に展開するルベーシュ地対艦ミサイル
北方領土に展開するルベーシュ地対艦ミサイル

さらにこの発表翌日の6月9日、ロシア国防省が出資するテレビ局「ズヴェズダー(星)」は「東京は神経質に:ロシアは北方領土の軍事基地を近代化する」というタイトルの記事を自社サイトに掲載した。

この記事で紹介されているスロヴィキン東部軍管区司令官の発言によると、北方領土で勤務する軍人たちは2016年には新築の兵舎に入ることができる予定であり、さらに今後は駐屯地だけでなく島内の軍用輸送網や演習場を充実させて実質的な戦闘力の増強を図るとしている。

このように、ロシアはショイグ国防相の東部軍管区訪問とタイミングを合わせ、様々なチャンネルで北方領土の軍事力近代化をプレイアップしている。

ちょうど安倍首相がウクライナ訪問から帰国したばかりであるため、日本のウクライナ支援を牽制する狙いを読み取ることも可能であろうが、実態は以前から進めている計画を改めて表明したものに過ぎない。過剰反応することなく、その行く末を注意深く見守るほうが建設的であろう。

ただ、別の拙稿でお伝えしたように、ロシアは9日、択捉島に残っていた日本時代の郵便局跡地を破壊するという挙に出ている(「北方領土最後の「日本の痕跡」が消える 択捉島・紗那郵便局跡の取り壊しに思う」)。これが上記のような軍事インフラ建設のプレイアップと連動した動きであるとすると、ロシアが今後とも実効支配をアピールすべく様々な行動に出る前兆である可能性も考えられよう。

母は強し

そこで気になるのが、貴重な情報源であるGoogle Earthが、北方領土上空の画像の更新を長らく停止していることである。第18師団司令部があるガリャーチエ・クリュチーなどは最新の画像が2005年であり、なんと10年も更新がない。

国後島における軍事拠点のラグーンナエは昨年、画像が更新されたものの、ハレーションを起こしていて何がなんだかほとんど分からない状態である。

こうした状態が意図的なものであるのかどうかは、現在のところはっきりしない。ロシア本土にあるその他の軍事基地はかなり機微な施設でも比較的頻繁に画像が更新されており、北方領土に関してだけロシア政府が圧力を掛けているとしたらちょっと不可解である。

ただ、不便なものは不便であるため、いろいろと探しまわってみたところ、こんなサイトに行き当たった。

北方領土に駐留する部隊の所在地、電話番号、部隊内の詳細な写真や状況までが掲載されており、北方領土の軍事力の現状を知るにはもってこいの情報源である。特に第18師団の正確な編成についてははっきりしない部分が多かったが、このサイトの登場によってかなりの程度まで具体的な編成が判明した。

もともと、このサイトは徴兵を控えた若者やその家族のために作られたものらしく、あらかじめ地元の部隊の雰囲気を知っておくことを目的としているようだ。

「ママへのアドバイス」として、息子が勤務する部隊への手紙の書き方やアクセス手段(多くは僻地ある)まで網羅されているのはさすがである。息子を想うロシアの母親は、軍事機密の壁さえ破ってくれるようだ。

安全保障アナリスト

早稲田大学大学院修了後、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員、国会図書館調査員、未来工学研究所研究員などを経て、現在は東京大学先端科学技術研究センター特任助教。主著に『現代ロシアの軍事戦略』(筑摩書房)、『帝国ロシアの地政学』(東京堂出版)、『軍事大国ロシア』(作品社)がある。

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