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ルミネをこじらせて――「ありのままで」からの逆走

松谷創一郎ジャーナリスト
『LUMINE Special Movie』第1話より

炎上したルミネムービー

ルミネがYouTubeで公開したプロモーションムービーが、世の中をザワザワさせています。「働く女性たちを応援するスペシャルムービー」と題されたこの動画が、女性を中心に大きな反感を買ったのです。結果、公開されていたふたつの動画は即座に非公開となり、ルミネも正式に謝罪しました。

スポニチアネックス「CM炎上のルミネ 企画意図明かさず『反省』第3話以降は未制作」(2015年3月20日)

・LUMINE「お詫び」(2015年3月20日)

・『ウートピ』「【ルミネ炎上CM】広報へ制作意図を直撃 「女性の変わりたい気持ちを応援したかった」」(2015年3月20日)

まず、このムービーの内容を簡単に説明しましょう。

第1話では、出勤時にひっつめ黒髪にボーダーシャツの女性・ヨシノさんが、上司と思しき男性に派手な格好の同僚女性と比べられて「大丈夫だよ、需要が違うんだから」と言われます。そこにツッコミ的に文字だけのテロップで「【需要】この場合、『単なる仕事仲間』であり 『職場の華』ではないという揶揄」と挿入され、オチは社内で顔を引っ張る彼女の上に「変わりたい? 変わらなきゃ」というコピーが入ります。

『LUMINE SPECIAL MOVIE』第1話より
『LUMINE SPECIAL MOVIE』第1話より

2話目は、ヨシノさんが、飲み会の場で話していた後輩と思しき同僚の男性から「歴史が好きなひと、美人が多いって本当ですね」と言われ、テンパッて「中学時代、西郷隆盛に似てるって言われて」などと饒舌になります。同じくそこに文字テロップで「【自虐】素直に褒め言葉を受けれられない女子は、これが癖になりがちである」と挿入され、オチは楽しそうに話すヨシノさんの上にまたもや「変わりたい? 変わらなきゃ」というコピーが入ります。

『LUMINE SPECIAL MOVIE』第2話より
『LUMINE SPECIAL MOVIE』第2話より

問題視されたのは第1話の方です。その批判の内容は大きくふたつに分けられます。ひとつが、彼女の外見を揶揄する上司の言動がセクシュアル・ハラスメントだとするもの。もうひとつが、職場において女性が外見の評価を気にすることが称揚されていることです。これらの批判は、たしかに十分にうなずけるものでしょう(※)。

性別役割分業を無自覚に描くケース

このルミネのムービーは、さまざまな切り口から議論される要素を含んでいます。たとえば、ルミネは10年前から写真家・蜷川実花を起用した広告で大きくイメージアップしてきましたが(ルミネ広告記事一覧)、なぜそのコンセプトと異なるウェブ専用のムービーが登場したのか。社内的にそのあたりがどのように調整されていたのか気になります。

ハウス食品工業「シャンメンしょうゆ味」CM(1975年)より
ハウス食品工業「シャンメンしょうゆ味」CM(1975年)より

ルミネ以外にも、過去に男女間の関係を描いた広告の内容が問題視されたケースがあります。なかでも40年前の1975年、ハウス食品工業から発売されたインスタントラーメン「シャンメンしょうゆ味」CMの一件は有名です。それは、女性と幼い女の子が「私、作る人」と言い、男性が「僕、食べる人」という内容。これに抗議したのが、「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」でした。この団体が、「一ヶ月以内に中止しない場合には不買運動も含めた対抗手段をとる」と通告していたこともあって、ハウス側は1ヶ月かかって放送中止を決めました。

映画『FLOWERS フラワーズ』(2010年)より
映画『FLOWERS フラワーズ』(2010年)より

近いところで思い出すのは、CMではありませんが2010年公開の日本映画『FLOWERS フラワーズ』です。これは、アサツーディ・ケイと資生堂が創った映画で、そのコンセプトは「日本の女性は、美しい」とのコピーで知られていた資生堂「TSUBAKI」の広告でした。映画はこのCMに出演する6人の人気女優で創られましたが、その内容は結婚や出産をひたすら肯定する非常に保守的なものでした(詳しくは拙文「資生堂CM女優が揃い踏みした映画はとても保守的だった」参照)。興行収入も4億円に届かず惨敗となりました。

さらに昨年夏の「おにぎりマネージャー」の報道にしろ、あるいはつい最近の“プロ彼女”騒動にしろ、性別役割分業を無自覚に描いて多くの反発を喰らうというケースが頻発しているように思えます。時代劇では歴史考証として専門家に監修してもらうことは当然となっていますが、こうしたCMや映画ではその描写についてどこまで専門家の意見をうかがっているのかというのも気になるところです。ジェンダー論の研究者はたくさんいるので、話を訊きにいけばいいのにと思うのですが。

青文字系vs赤文字系、モテとコビ

ここからは、ルミネムービーをさらに読みといて、そこになにが描かれているのかを考えてみましょう。

それが女性たちの逆鱗に触れたのは、やはり女性のスタイル(ファッションや生き方)を男性が評価し、その評価を女性が受け入れることを善しとするストーリーに要因があります。

『LUMINE SPECIAL MOVIE』第1話より」CMより
『LUMINE SPECIAL MOVIE』第1話より」CMより

ヨシノさんと呼ばれる女性は、まるで無印良品のカタログに載っているようなスタイルですが、そんな彼女が「単なる仕事仲間」として評価されるのに対し、花がらのプリーツスカートをはいて茶髪を巻いた女性は「職場の華」と評価されます。

この両者は、女性ファッション誌の文脈で言えば「青文字系vs赤文字系」という対立です。青文字系とは『Zipper』や『CUTiE』(最近はかなり変わりましたが)など、赤文字系とは『CanCam』、『ViVi』、『JJ』、『Ray』です。

その対立は、古くは1996~97年頃のコギャル全盛期から見られます。具体的には、アムラー(安室奈美恵ファン)vsシノラー(篠原ともえファン)といったスタイルの差異に顕れており、当時は『CUTiE』の読者欄で「コギャル撲滅キャンペーン」という企画が組まれるほどでした(現在まで続く詳しい流れは、拙著『ギャルと不思議ちゃん論』参照)。

ヨシノさんは、2話目で“歴女”(歴史好きの女性)だと判明しますが、彼女のような派手ではない文化系の女性が「変わらなきゃ」とルミネに言われるわけですから、当事者にとっては「余計なお世話だ!」となるわけです。20年近く前からずっと燻り続けている火種に、ルミネはガソリンをぶっかけたようなものなのです。

また、巻き髪女性を単に男性に媚びているような存在として描くことも、読めていないなと思わずにはいられません。ひとむかし前、「モテ」という言葉が赤文字系の女性ファッション誌を賑わせましたが、実はその「モテ」にはふたつのタイプがありました。

ひとつが『CanCam』タイプです。専属モデルに蛯原友里を擁した『CanCam』は、一貫して女性(同性)の視点を重視した「モテ」を唱えていました。まず女性にモテることが必要で、男性にモテることはその次だったのです。

もうひとつは、『JJ』タイプです。こちらはもっと単純で、男性だけにモテることを考えていました。それは「モテ」というよりも「コビ(媚び)」と呼べるものです。

「モテ」と「コビ」――この微細な違いは、雑誌の売り上げに大きな影響をもたらしました。『CanCam』が一時期は60万部以上の人気となったのに対し、『JJ』は部数を落とし続けたのです。

こうしたことを踏まえても、職場で男性から女性に向けられる性的視線に従うことを善しとするテーゼがいかにピントがずれているかがわかるでしょう。

時代は「ありのままで」

ルミネがこうしたムービーを創った背景には、おそらく数年前の「こじらせ女子」の流行があるのでしょう。この言葉は、自分の“女子力”なるものに自信を持てず、恋愛や結婚などの強いプレッシャーを感じている女性を指します。2003年頃に流行語になった酒井順子さんの「負け犬」とよく似ていますが、そこにはあのときのような諧謔やそれにともなう相対化はありません。「負け犬」が、劣化してベタ化したようなものです。つまり、(「モテ」を誤読した上でのプレッシャーもあり)旧来的な保守的な価値観からなかなか脱することのできない女性の叫びに共感が集まったわけです。

しかし昨年は、「こじらせ女子」などとはまったく比較にならないほど支持された女性の生き方が見られました。『アナと雪の女王』の「ありのままで=Let it Go」です。

『アナと雪の女王』は、触るものを凍らせてしまう能力を持った女王・エルサが、その能力を封印せずに雪山に引きこもるというお話でした。このときエルサがやけっぱちになって歌ったのが、「Let it Go」でした。そこで強く支持されたのは、自らの持つ能力を抑圧しない女性の生き方です。最終的にエルサは、妹・アナの思いによって山を降りて戻ってきます。しかし、決して彼女は、手袋などによって凍化能力を封印したわけではありません。周囲がそれを受け入れることで、彼女自身もその能力をコントロールできるようになっています。

そんな『アナと雪の女王』が、女性の高学歴率が高く社会進出率が低い日本と韓国で他国よりもずっと大ヒットしたのは、なんとも興味深い現象です。この両国は、東アジア的な家父長制の影響をいまだに引きずっていますからね(なお中国で『アナ雪』は思ったほどヒットしませんでした。これは中国の女性社会進出率が高いことと関係しているのかもしれません)。

「ありのままの姿見せるのよ」という歌が大ヒットした翌年に、そこから逆走して「(男の欲求に従って)変わらなきゃ」と言ったら、大反発を喰らうに決まってるのです。

“会社人”から“社会人”へ

ヨシノさんの準拠対象
ヨシノさんの準拠対象

最後に、ルミネムービーのヨシノさんが生き方を模索するうえで、準拠する可能性がある対象を書き出してみましょう。以下のようになります。

1:巻き髪女性(同性の他者)

2:職場の男性(異性の他者)

3:男性が巻き髪女性を好む意識

4:社会一般(一般化された他者)

5:自分自身

ルミネムービーでは、この1~3に準拠するのが良きことだとして描かれています。そこで問題となるのは、職場で性的魅力を発揮することが果たして必要なのかということです。これを男性の上司が評価しているからこそ、そこに権力の非対称性が生じておりハラスメントとして認定できるのです。

そして時代は、「ありのままで」です。それはこの五つのなかでは5に近いでしょう。ただし、それにもリスクがないわけではありません。自分が自分自身に準拠することとは、終わりなき自分探しになりかねません。とくに明確な思想の持たないひとは、そのときおりの情緒に身を委ねてしまい、無限の自己参照が繰り返されます。エルサが「ありのままで」いようとするのは、他のひとが持ち得ない確固たる能力を持っているからです。

こうしたときに、われわれがいま一度再構築する必要があるのは社会のありかたでしょう。より具体的に言えば、女性が会社でどのようにあるべきか、という社会のあり方です。上の分類でいえば、女性が積極的に4を準拠枠として採用できる状況を構築すること、つまり誰もが信頼できる社会を講ずることが肝要です。

それは「社会人とはなにか」ということを考え直すことにも繋がります。ルミネムービーからも明らかなように、日本の会社組織は“会社人”を求めていても“社会人”は求めていません。社会とは、社会人とは、どうあるべきなのか――簡単に結論は出ないかもしれませんが、これを機にこのベタな問いをあらためて考えてみてもいいのではないでしょうか。

なお、そのヒントも『アナと雪の女王』に隠されています。それは、魔女を魔女のまま社会が受け入れるという話でした。異質な存在に同化を求めることなく、そのまま受け入れること。そうした寛容さがいま求められているのではないでしょうか。つまり、ひっつめた黒髪でボーダーシャツの女性が、茶髪巻き髪で花がらプリーツの女性といっしょに、普通に仕事ができる社会が求められているのです。

※……ルミネは、このムービーを2話までしか創っていないと表明していますが、それはちょっと怪しいと思います。というのも、最初から2話のみであれば、「第1話/第2話」と付けることは考えにくいからです。2話のみの場合は、「~~編/~~編」とするか「前編/後編」とするはずです。おそらく4話から10話くらいまでの連作だったと考えられます。

ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

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