「どうせ売名行為」#あまちゃん:助け合いが「当たり前」になるように
■あまちゃん「どうせ売名行為」
高視聴率が続くNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」。ドラマの中でも3.11東日本大震災が発生しました。その被害の表現方法が秀逸だと評判になっています。現在は、「その後」が描かれていますね。
9月4日(水)の放送では、主人公アキの友人たち、かつての同僚アイドルグループ「GMT」が被災地を慰問し、元気に明るくヒット曲「地元に帰ろう」を歌っていました。
その慰問活動の様子をテレビで見ながら、原宿の純喫茶「アイドル」店主、甲斐(かい)さん(演:松尾スズキ)はつぶやきます。
「熱いよね、どうせ売名行為だろうけど、日本を元気にしてるよね」
「あまちゃん」の放送があると、ツイッター上では、いつもハッシュタグ「#あまちゃん」で盛り上がりますが、今日は「売名行為」がトレンド・ワードに上がっていました。
たくさんの人が、『あまちゃん』のなかのセリフ「売名行為」についてツイートしたということです。
多くのツイートが、「被災者の人に悪くって」と言って何もしていない女優「鈴鹿ひろ美」(演:薬師丸ひろ子)よりも、売名行為だろうが、被災地のためになっている活動をしている人を評価しているように感じました。
「24時間テレビ」の時には、「偽善番組だ」といったツイートも多かったように感じましたが。
*「「被災者の人に悪くって」と言って何もしていない人」も、「冷たい人」ではないと、私は思います。ドラマの中の鈴鹿さんも具合が悪そうに見えましたが、あの時多くの日本人、特に心優しい女性たちに、「共感疲労」による心身の不調が見られました。
■売名行為・偽善行為
博愛精神で善行を積んでいるように見せながら、実は自分の利益だけを考えた売名、偽善行為。これは不愉快です。暴いてやりたくなる気持ちもわかります。
まだ世の中の人が気づいていない売名行為、偽善行為をあなたが見つけたとしたら、社会正義に基づき、どんどん暴露してください。
でも、「どうせ売名行為」(という側面はあるよね)と割り切ってしまえば、そしてその行為で喜んでいる人がいるならば、それで良いのかもしれません。
ドラマでの甲斐さんは、アイドル好きの善人ですが、ちょっと空気が読めないところがあります。場違いなことを、ひょいと言ってしまうところもあります。だから、この場面でも「どうせ売名行為」と軽く言ってしまったのでしょう。
これが、真面目な人が理屈っぽく批判したり、あるいはアイドル嫌いの人が苦々しく語ったりしたら、慰問活動を素直に良いことだと思っている人は反発するでしょう。ドラマとしては、絶妙の役柄の人が、絶妙のセリフを言いましたね。
ドラマの中では、プロダクションの社長荒巻太(通称「太巻き」演:古田新太)が、せっかく被災地に行っているのにあまり目立たないと嘆き、スタッフから、そんなこと言うから売名と非難されると言われています。世間でそんなことが言われている中での、店長甲斐さんのセリフだったのでしょう。
社長のセリフも、本心なのかどうかはわかりません。てれ隠しとも感じられます。日本人はどうも不器用で恥ずかしがり屋ですね。「伊達直人(タイガーマスク)の贈り物」が上手く世間に広がったのは、めずらしい成功例で、ユーモアの精神とマスコミの上手な報道のおかげでしょう。ブームに終わることなく「タイガーマスク基金」もできました。
ドラマ「あまちゃん」では、社長としては被災者のためを考えつつも、同時にタレントを売ることも狙っている考えられます。
一つの行動の裏には、多くの動機が絡んでいるでしょう。
売名、偽善が成り立つためには、売名、偽善であることが、世間にばれてはいけません。でも、日本では人助けで警察に表彰された人にもいやがらせの電話がかかってくるように、目立つ善行に批判はつきものです。
芸能人が、慰問活動をして、テレビ報道などされたら、売名、偽善と批判する人が、それはいるでしょう。 だから、それで良いのだと思います。「売名、偽善と批判する人がいても良い、私は私のできることをしよう」と思って、寄付をしたり、慰問活動をすれば良いと思います。
一切名前を出さない人、団体もいます。それは立派です。でも、芸能人はそうはいきませんし、あの会社も、あの学校も、あの団体も、みんな何かをしていると報道することは、やはり意味があると思います。
匿名で寄付をするのもすばらしいし、有名人が顔や名前を出して慰問するのも、良い効果があるでしょう。
欧米では金持ち、有名人が、善行を働くのは当たり前という発想があるような気がします。何かをできる人が何かをすることは「当たり前」と感じられれば、善意の人にとっては楽になりますね。
■様々な支援活動
芸能界だけでなく、私たちも幅広い力を持ちたいと思います。
■支援を受ける側の心の負担と「当たり前」
自分たちを利用しただけの売名行為だと感じられれば、不愉快です。あるいは、上から目線の同情、哀れみの心、恵んでやっているような意識を感じ取ってしまえば、腹も立ちます。援助の申し入れを断ることもあるかもしれません。こういう隠された意図や下心を第三者が感じても不快なので、批判したくなる人もいます。
社会心理学の援助行動に関する研究によれば、助けられる人が負担を感じない状況の一つは、その援助行動が当然と感じられるときです。ただし、そうしてくれて当然だ、だから感謝しないというのではありません。
若者が高齢者に席を譲るのが当たり前の社会になれば、譲られた高齢者は「ありがとう」の気持ちは持ちますが、「申し訳ない」という負担感を感じずにすむわけです。
図書館の司書さんが、本を探すのを手伝ってくれたときには、「ありがとう」とは思いますが、必要以上に恐縮したり劣等感を持つことはないのと同様です。それが司書の役割であり、それが若者の役割です。
困っている人がいれば、助け合うのは当たり前だ、それが友達の役割、同じ地域に住む人の役割だ。金持ちはいっぱい寄付する。芸能人は慰問に行く。迷子を見つければ声をかけ、財布を拾えば交番に届ける。それぞれの人が、それぞれの方法で、助け合うのが当然だ、当たり前だと感じられると、援助するのもされるのもスムーズにいくでしょう。
漫画「ワンピース」の名シーンにもありますね。主人公のルフィーが、仲間のナミに「助けて・・・」と言われたときに返したセリフが、「当たり前だ―!!!!」でした。
『24時間テレビ』の最初のころに、ピンクレディーが歌っていました。未来の21世紀には、こんな世界になっているといいなと。
♪「ようやく諸君も気がつきましたね。愛することが当たり前なら、愛という字はいらないことに」(『2001年愛の詩』作詞:阿久悠 作曲:都倉俊一:1978年度作品・ビクターレコード)。
昔から人助けをしている人が言っていました。「ボランティア? そんなの知らねえ。「手弁当」なら昔からやってるけどね」。
1995年の阪神淡路大震災は、日本のボランティア元年と言われています。2011年の東日本大震災ではさらにボランティアの輪が広がり、多くの募金も集まりました。「24時間テレビ」は、日本初の大型チャリティー番組で36年目を迎えました。
もうそろそろ、ボランティアや、寄付や、募金や、チャリティーにみんなが積極的に協力するのが、当たり前になりつつあるでしょうか。
■人はなぜ純粋さを求めるのか
偽善だ、売名だと必要以上に言いたくなる人は、純粋さを求めているのかもしれません。
純粋な思いはすばらしいと思います。でも実際は、人の心には様々な思いが交差します。どの人も、色々な事情を抱えています。冷静で、心に余裕がある時には、それが理解できるでしょう。
でも、追い詰められていると、周囲の愛が不十分に感じられて、非現実的な愛を求めてしまいまうことがあります。たとえば、医療、教育、福祉の職員が、恐縮している患者、利用者に対して、「仕事ですから」と(仕事ですから当然のことをしているだけです。恐縮されなくてもいいんですよという意味で)語ると、とても怒る人がいます。
「え? ただの仕事なんですか!? 私のことを本当に心配しているわけではないんですか!」と。
心理的に追い詰められているお母さんとか、大人不信に陥っている非行少年なども、同じ心理かと思います。
本来は、「お仕事として、がんばって下さっている、芸能活動の一つかもしれない、それでもありがとう」でしょうか。
多くの働く人々が、使命感もある、お客様のことも当然考える、同時に給料のことや自分の生活も考える。それは当然です。ボランティアにも、様々な人がいます。特に大量のボランティアが集まったときには。
実際に被災地に行くと、心身共に疲れ切っている人からは、ボランティアに対する批判の声も聞きました(ボランティアは批判され、喜ばれないこともあると覚悟して行った方が良いでしょう)。同時に、元気を取り戻しつつある多くの人々からは、「町のみんなは、自衛隊にもボランティアにも本当に感謝している」といった声を聞きました。
■ボランティアの心
ボランティア活動の動機に関する心理学の研究によると、実際には活動していない人はボランティアの動機は「世のため人のため」だろうと回答しました。ところが、日常的にボランティア活動をしている人からは、「ボランティア活動は楽しいから」という回答が多くありました。
日常的なボランティアと災害時のボランティアは違うと思います。目の前で溺れている人を助けるのは、楽しいからではありません。でも、多くのボランティアは、理想や理念は持っていたとしても、それほど大上段に構えた堅苦しい思想で行動しているわけではないようです。
災害時には、いてもたってもいられない思いで、行動した人も多いでしょう。
マザーテレサは、いわゆるボランティア精神ではないと思います。彼女の発想は、「これらの最も小さき者(困っている人、弱っている人)にしたのは、すなわち私(キリスト)にしたのである」という聖書の言葉かと思います。
かわいそうな人を哀れんでではなく、キリストが目の前にいれば、当然、我が家で一番良いお茶をお出しするような気持ちです。
マザーは、人助けは人として当然のことと考えていたでしょうが、修道女の自分たちのような活動は特殊だと自覚していました。だからみんなに同じことは求めません。それぞれの人が、できることをして欲しいと願っていました。ただ彼女は言います。「愛してください。痛みを感じるほどに」。
私たちは天使にも悪魔にもなれません。いろいろな思いや事情の中で行動します。時間を作ってボランティアする人、がんばって募金に協力する人、それぞれが犠牲を払います。
これは自己満足や偽善や売名ではないかという自分自身の心の中の葛藤も、照れくささも、世間からの「どうせ売名行為」という批判も、心の痛みの一つかもしれませんね。
私自身は、赤十字やらあしながおじさんやら社会鍋やらの街頭募金を見かけたときには、ごちゃごちゃ面倒くさいことを考えずに、「必ず募金する」と決めました。たかが街頭募金ですから。でも私は、一部の大金持ちや大企業からの10億円寄付よりも、国民みんなから集まった10億円募金の方が、社会的なインパクトはあると思っています。
さて、明日からも『あまちゃん』の主人公アキが、自分の幸せを求め、みんなの幸せを願い、どんな活躍をしてくれるのか、とっても楽しみです。
補足:「恩を売るだけだぞ、お前に対する売名行為だ」(太巻き社長→アキの専属マネージャー水口琢磨(演:松田龍平))のセリフもありましたね。夜11時からのNHK BSプレミアムでの放送を見て、思い出しました。「地元に帰ろう」。くだらない歌なのに、このシチュエーションで聞くと心にしみます。9/4.23:15
→「あまちゃん」で人生を学ぶ:心理学者が勝手に解説:Yahoo!「心理学でお散歩」
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